モハマド・ジャムシディ | ペルシャ絨毯界の伝説とその歴史的功績

シルク100%へのこだわりが築いた伝説

クム(Qom)のシルクカーペット界を語るうえで外せない巨匠、モハマド・ジャムシディさんのエピソードをご紹介します。

美しい光沢と緻密さを誇る“シルク100%”のペルシャ絨毯。その魅力を世界に知らしめた男が、いったいどんな人生を歩み、どんな夢を見ながら織り上げてきたのか。

波乱万丈の人生とともに、彼が生み出すカーペットの真髄に迫っていきましょう!

幼少期  父を知らず、母のカーペット織りを見て育つ

モハマド・ジャムシディ氏は、生まれる前に父を亡くし、母が手織りカーペットを織って生計を立てる家庭で育ちました。彼が物心ついた頃には、家の中は常に“糸”と“織り機”の音で溢れていたといいます。

今でこそ「繊維の女王」と称えられるシルクですが、当時はとにかく家族を養うための手段。そこには、華やかなイメージとは真逆の厳しい現実がありました。しかし、その環境こそが彼に織物への関心と基本技術を叩き込んだ“原点”。

母の背中を見ながら、糸の扱い、織りのコツ、デザインの組み立てなどを自然と身につけていったのです。

12歳のとき、小学校4年生で中退し、家族を助けるために働くことを決意。

ここから、モハマド少年の運命は大きく動き出します。

見習い時代  ハジ・エブラヒム・モンタゼリとの出会い

クムのカーペット商人、ハジ・エブラヒム・モンタゼリのもとへ見習いとして飛び込んだモハマド少年。

朝から晩まで、カーペットの糸にまみれて過ごす毎日でした。

とにかくシルクの扱いには細心の注意が必要で、糸が切れればやり直し、ほんの少しの汚れも見逃せない――

そんな緊張感の中、彼の鋭い観察眼と抜群の集中力が磨かれていきます。

この修業時代が、後のジャムシディブランドを確立するうえで大きな糧となりました。

職人技の要である「結び目の精度」「色彩のバランス」「パターンの組み立て方」など、基礎から徹底的に叩き込まれたのです。

今でこそ機械織りのカーペットも増えていますが、当時はもちろんすべて手作業。指先の感覚が頼りの世界でした。

18歳で独立 初めての売上は50トマン!

若きモハマドが18歳という若さで独立したのは、まさに“飛び込み”そのもの。彼が自らの手で仕上げたカーペットが、当時の金額として高額の50トマンで売れたときは、驚きと喜びが一気に押し寄せたとか。

「このまま続ければ必ず道が開ける」

そう確信した彼は、この小さな成功体験を元手にさらなる事業拡大に挑戦。

常にシルク100%で最高品質を追求し続けたことが、その後の“ジャムシディ・クム”ブランド誕生へと繋がります。

ジャムシディ・クムの誕生  世界を唸らせるシルクカーペット

独立から間もなく、モハマドは自らの名を冠した「ジャムシディシルクカーペット」を立ち上げました。クム産シルクの特性を最大限に活かし、滑らかで艶やかな光沢と、まるで絵画のように精巧なデザインを実現。

  • 高密度の結び目 : 1平方メートルに何百万ものノットがギュッと詰まっている
  • 繊細な色使い : シルクならではの発色の良さを活かした、複雑な模様
  • 独創的なデザイン : 後述する「夢の中で見る」イメージを基にした絵画的なレイアウト

これらが世界中のバイヤーを魅了し、一躍“プレミアムカーペット”としての地位を確立していきます。

最初は地元のクムやテヘランなどイラン国内の富裕層から注目を集め、その後ヨーロッパ、アジア各国へと知名度が広がっていきました。

伝説の高額取引  最後の作品は150億トマン!

モハマド・ジャムシディ氏の名を一躍世界に轟かせたのが、ある「最後の作品」。日本人のバイヤーによって約150億トマン(!)という超高額で購入された話は、カーペット業界の大きなニュースとなりました。どんな芸術品も、最後は“見る人の価値観”で評価されますが、これだけの金額が動くのはよほどの芸術性と稀少価値がある証拠。

数々の社会貢献  限定2枚のみの贈呈品

66年以上におよぶキャリアを誇るモハマド・ジャムシディ氏ですが、その間、ただの“商売人”で終わったわけではありません。実は、贈呈された2枚の特別なカーペットが存在します。

  1. シリアのハズラト・ルカイヤ廟
  2. ユネスコ(国連教育科学文化機関)

この2箇所に献納されたカーペットは、芸術的価値のみならず、歴史的・文化的意義を持つものとして高く評価されています。言うなれば、彼が一生をかけて培った技術と想いの“凝縮版”が、この2枚に詰め込まれているわけです。

夢の中でデザインする男 ――「コンピュータは信じない」

モハマド・ジャムシディ氏がよく語っていたという言葉に、

「カーペットのデザインは、夢の中で見て、それを自分の頭の中で形にするんだ」

というものがあります。近年はコンピュータグラフィックを使って図案を作成するカーペット工房も増えていますが、彼は一貫して手描きのスタイルにこだわり続けました。最新技術を否定するのではなく、あくまで「自分の世界観を形にするには、直感やイマジネーションが不可欠」という考え方だったのです。

シルク100%の織物は、糸一本一本の流れや色合いが仕上がりを大きく左右します。コンピュータでは捉えきれない微妙なニュアンスを、頭の中のキャンバスで緻密にイメージし、それを指先で実現する――これこそが、ジャムシディの真髄とも言えるでしょう。

まとめ  伝統と革新、そしてシルクの未来

モハマド・ジャムシディという人物は、父の死や貧困などの困難な環境に生まれながらも、シルクの糸を手繰り寄せるように運命を切り開いてきました。

彼の物語は、シルク100%のペルシャ絨毯が持つ奥深い可能性を教えてくれます。単なる高額商品ではなく、歴史や文化、そして織り手の魂を宿した芸術作品。まさに「繊維の女王」と呼ぶにふさわしい一枚が、世界中の人々を魅了し続けているのです。

ジャムシディ氏の情熱は、今なお数多くの職人たちに受け継がれ、ペルシャ絨毯の未来を照らす大きな灯火となっています。もし、あなたがシルク絨毯を手に取る機会があれば、その裏に隠された“ストーリー”や“職人の想い”にも思いを馳せてみてください。きっと、アートピースとしての新たな価値を感じ取れるはずです。

それでは、今回はここまで。最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

今後もシルク100%のペルシャ絨毯に関する魅力や、奥深いエピソードをどんどん発信していきますので、どうぞお楽しみに。